2011年6月8日水曜日

内モンゴル騒乱事件で10人近い死者、背後に独立派の存在も

 2011/05/31(火)サーチナ
 内モンゴルの遊牧民死亡ひき逃げ事件をきっかけとした、遊牧民と学生によるデモ活動が激化しており、群衆の一部が30日、フフホト市政府庁舎の前で抗議活動を行った。中国政府関係者が、北米の中国語ニュースサイト・多維新聞網に語ったところによると、抗議活動の際に10人未満の死者が出た。同政府は、群衆による騒乱事件の背後に敵対勢力による指そうがあるものと見ている。
  現地の民族学校は臨時休校したが、一般の大学・専門学校は通常通り授業を行っている。極めて敏感な事件であることから、現地政府は極めて緊張しており、職員が連日徹夜で待機している。
◆デモの主体は遊牧民から学生に
  民衆の街頭デモ行動が始まった5月23日から30日で7日目。デモが勃発したシリンゴル盟の西ウジムチン旗から、シリンホト市、東ウジムチン旗、〓(金へんに襄)黄旗に拡大し、参加者の主体は遊牧民から高校、大学生に変化した。25日は7日間で最大規模のデモが発生、モンゴル族の学生2000人がシリンホト市政府前で抗議活動を行った。過去30年間で内モンゴル最大の抗議活動となった。
  西ウジムチン旗は、内モンゴル自治区シリンゴル盟の有名なウジムチン草原にあり、牧畜業が現地の主要産業となっている。しかし、近年の盛んな炭鉱の開発が深刻な草原の破壊をもたらした。地元の遊牧民が現地政府に草原の保護をしきりに訴えたが、何も返答はなかった。
  5月11日、業者による炭鉱開発に抗議していた遊牧民の莫日根さんが、石炭運搬トラックにひかれ死亡した事件が、民衆の抗議行動の導火線となった。事件の容疑者2人は同日逮捕されたが、遊牧民の怒りは収まらず、以来、抗議活動が延々と続いている。
  外電によると、自治区の首府、フフホト市では29日、盾と警棒を持ち、ヘルメットをかぶった武装警察官数百人が「中心広場」をパトロールする一方、フフホト市政府前の「如意広場」を取り囲んで封鎖した。しかし、他の場所で市民生活は通常通り営まれれいる。
  内モンゴル自治区は、5つの少数民族自治区の中で少数民族の割合が低い一方、経済成長は全国一高い。漢民族と少数民族の争いはなく、ゆるぎない安定を誇ってきた。遊牧民の平均収入は、新疆ウイグル自治区やチベット自治区を大きく上回る。
  今回の騒乱で、内モンゴル自治区の経済成長に隠れた危機を顕在化した。内モンゴルの草原や環境は激しく破壊され、地元政府も経済的な利益に目がくらみ、鉱物資源の乱開発を黙認してきが、現地の急速な経済成長は、遊牧民の生存を犠牲にし、草原の環境を収奪することで得られた側面もある。遊牧民の死をきっかけに、社会の深層に隠れていた矛盾が一挙に火を噴いた格好だ。
◆亡命モンゴル独立派が指示か
  注目されるのは、今回の事件を通じ、海外亡命中のモンゴル独立派の存在が浮上したことで、抗議行動をエスカレートさせるようインターネットを通じて指示を繰り返し、問題を一層複雑化させたとみられる。
  知る人ぞ知る存在のモンゴル独立派は、北京の中国政府に、強硬な鎮圧を行えば、新疆ウイグル自治区で2009年7月5日に起きた騒乱と同様の騒ぎを起こすと脅している。米ニューヨークに拠点を置く「南モンゴル人権情報センター」は、世界各地のモンゴル族に対し、各地の中国大使館前で抗議活動を行うよう呼びかけた。(編集担当:松本夏穂、中岡秀雄)

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業者の炭鉱開発に抗議していた遊牧民が石炭運搬トラックにひかれ死亡した事件がことの発端である。
これと同様な事件が中国国内であっても、ただの交通事故として処理されたとあった。
中国政府や警察等の対応は時として不信に思うことが多々ある。
このモンゴルでの一件は中国国内ではどのように中国語翻訳され報道されているのだろうか。
ぜひ、日本でもをそのニュースを映像翻訳して紹介して欲しいものだ。
また、現在のデモ活動は海外亡命中のモンゴル独立派の扇動だとある。
世界中のモンゴル人に向けて英語翻訳されたデモ活動の呼びかけがあるのだろうか。
モンゴルと中国の問題は根が深い。それをモンゴル語翻訳した書物は数多くある。
しかし、それを読み進むより、格安モンゴル語翻訳ガイドを雇い、現地に足を運んで民主の声を聞くことが重要なのかもしれない。

By MT

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